2015年 01月 29日
『青春ブタ野郎』シリーズというライトノベルの話をしたい(第1回)――概要と『ロジカルウィッチ』まで編 |
青春ブタ野郎シリーズというライトノベルの話をしたい(第2回)――『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』まで編
『青春ブタ野郎』シリーズというライトノベルの話をしたい(第3回)――『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見たい』まで編
I.はじめに
以前からツイッターのタイムラインの方で話題になっていた、『青春ブタ野郎』シリーズの感想を書いていきたい。
以前からツイッターのタイムラインの方で話題になっていた、『青春ブタ野郎』シリーズの感想を書いていきたい。
なお、途中まで、未読者に配慮し、ネタバレなしで書く。注意喚起ののちネタバレありの感想になるので、未読者は是非『青春ブタ野郎』シリーズを読んで欲しい。
3巻迄、とタイトルにあるがナンバリングされていないので一応、断っておくと、
・『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』
・『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』
・『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』
の3冊の感想になる。
II.著者紹介・作品紹介
軽く著者紹介。と言ってもみなさんは私より詳しい方ばかりであろうが。
『さくら荘のペットな彼女』の鴨志田一×溝口ケージの新シリーズ。『さくら荘』のキャラクターと思しき面々が背景に登場したりするので『さくら荘』ファンにとっては嬉しいのでは?
加えてあらすじ。
ここに行けば一体いくつのアニメの聖地巡礼を同時にこなせるんだ……という江ノ島が舞台。主人公はブタ野郎こと梓川咲太くん。「思春期症候群」なるものが存在し、それにかかった女の子に巻き込まれながら、解決していく。なお正ヒロインの桜島麻衣さんが一番可愛いのでそこは譲れない。
III.すこし・ふしぎなラブコメディ
「タイムラインで話題になっていたから」程度で3冊まとめて買ったが。期待値はそれなりに高かった。「さすが鴨志田」とか「鴨志田節が効いてる」とか散々絶賛されてる中、ページをめくったわけだ。
面白い。素直に面白い。
それなりに高かったはずのハードルの遥か上を宙返りしながら飛んでいった。
すらすらと文字を追える。登場人物たちの会話にふっと笑って、ヒロインたちの可愛さに顔を緩めて、葛藤にう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛と唸って、目を背けてしまう。それでも読み進めたくなる。やはりラブコメは面白い。
藤子不二雄がSFを「すこし・ふしぎ」としたことを知ってから、しばらく経つが『青春ブタ野郎』シリーズほど「すこし・ふしぎ」的SFが似合う物語に触れたことがない。
まあ、多少のツッコミどころはあるのだろう。SFを良く読む人、自然科学に強い人は不満かもしれない(私も正直なところその辺りはあまり好きではない)。基本的には物語を進行させるためのエンジンとして「思春期症候群」という仕掛けが存在するくらいに思っておくくらいがちょうどいいと思う(詳細はV.ラブコメと思春期症候群で後述)。しかしながらラブコメとSFが上手く噛み合っていることもまた事実だろう(IV.SFとラブコメで後述)
ネタバレなしはここまで。
おそらく、すこし・ふしぎ的ラブコメとして読んで、後悔はないと思う。今なら2000円しないくらいで揃うので是非。
IV.SFとラブコメ
SF(サイエンスフィクションであっても、すこし不思議であっても)の本質は既存の価値観の転換や崩壊に際するあれやこれやがであるというのは、前述の通りである。“もしも”既存の価値観の転換や崩壊が“あったとしたら……”を語るのがSFである。
よってSFというのは「IF(仮定)の物語」なのだ。
『青春ブタ野郎シリーズ』もその例に漏れず、「もしも自分の存在が周囲に認識されなくなったら……」、「もしも世界が繰り返されたら……」、「もしも自分という存在が分裂したら……」といった感じで「IF(仮定)の物語」を紡いでいる。
ラブコメというものも「IF(仮定)の物語」の要素を含むジャンルであると言える。
勘違いがそうなのだ。「ラブコメに勘違いはつきものだ」とは(私が)よく言ったものではあるが、本当にラブコメには「勘違いがよく出てくる。
例を挙げよう。『さくら荘のペットな彼女 3』より。ネタバレがあるのでご注意を。
ましろの父がいよいよ来日し、ましろをイギリスに連れ戻すという。何もましろに言うことができずにその日を空太は迎えてしまう。放課後、何の前置きもなくましろはリタとともに成田空港へと向かっていると知らされた空太は急いで後を追い、なんとか搭乗前のましろを見つけ出し、イギリスに行くな、とすがる。しかし、実際にはイギリスに帰るのはリタだけであり、空太は醜態を晒しただけであった。
つまり、【ましろがイギリスに帰ってしまう】という「勘違い」をした空太は、【もしもましろがイギリスに帰ってしまうとしたら……】という「仮定」をもとに行動する。その「仮定」のもと起こした行動によって、空太の本心がましろに伝わる。
自分の心のうちなどというものは、気安く他人に開示するものではないだろう。自分の好いている人にその気持ちを打ち明けることなどなおさらである。しかし、例に挙げたように、「勘違い」を媒介させることで、打ち明けがたい気持ちを打ち明けることができる(白日のもとにさらされてしまう、とも言えるだろうが)のだ。
SF(サイエンスフィクションであっても、すこし不思議であっても)の本質は既存の価値観の転換や崩壊に際するあれやこれやがであるというのは、前述の通りである。“もしも”既存の価値観の転換や崩壊が“あったとしたら……”を語るのがSFである。
よってSFというのは「IF(仮定)の物語」なのだ。
『青春ブタ野郎シリーズ』もその例に漏れず、「もしも自分の存在が周囲に認識されなくなったら……」、「もしも世界が繰り返されたら……」、「もしも自分という存在が分裂したら……」といった感じで「IF(仮定)の物語」を紡いでいる。
ラブコメというものも「IF(仮定)の物語」の要素を含むジャンルであると言える。
勘違いがそうなのだ。「ラブコメに勘違いはつきものだ」とは(私が)よく言ったものではあるが、本当にラブコメには「勘違いがよく出てくる。
例を挙げよう。『さくら荘のペットな彼女 3』より。ネタバレがあるのでご注意を。
ましろの父がいよいよ来日し、ましろをイギリスに連れ戻すという。何もましろに言うことができずにその日を空太は迎えてしまう。放課後、何の前置きもなくましろはリタとともに成田空港へと向かっていると知らされた空太は急いで後を追い、なんとか搭乗前のましろを見つけ出し、イギリスに行くな、とすがる。しかし、実際にはイギリスに帰るのはリタだけであり、空太は醜態を晒しただけであった。
つまり、【ましろがイギリスに帰ってしまう】という「勘違い」をした空太は、【もしもましろがイギリスに帰ってしまうとしたら……】という「仮定」をもとに行動する。その「仮定」のもと起こした行動によって、空太の本心がましろに伝わる。
自分の心のうちなどというものは、気安く他人に開示するものではないだろう。自分の好いている人にその気持ちを打ち明けることなどなおさらである。しかし、例に挙げたように、「勘違い」を媒介させることで、打ち明けがたい気持ちを打ち明けることができる(白日のもとにさらされてしまう、とも言えるだろうが)のだ。
よって「勘違い」ひいては「仮定」によって物語を動かそうとするのがラブコメである、と言える。
物語の根底に「IF」が存在するSFと、物語の原動力に「IF」が多用されるラブコメとでは厳密には異なるのかもしれないが、正反対にあるように感じる、SFとラブコメにも親和性があるように思える。
V.ラブコメと思春期症候群
オタク文化的にラブコメと言えばアダルトPCゲーム(以下、エロゲ)の存在を否定できないと思う。『青春ブタ野郎』シリーズがその影響下にあるかどうかということは、ここでは議論しないが、話をしやすいのでエロゲについて説明する。
一般にエロゲはヒロインと仲良くなる物語でもなければ、ヒロインとえっちぃことをする物語でもなく、ヒロインを攻略する物語でもない。「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題を解決する物語」である。
「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」と「ヒロインとの関係の成就」が密接に隣り合っている構造だ。
よって、「エロゲをやっても彼女はできないwwww」のは当たり前である。現実では「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」が「ヒロインとの関係の成就」に繋がるとは限らないからだ。
また、「攻略できない女性キャラ」の存在について、彼女は「問題」を抱えていないのだろう。「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」と「ヒロインとの関係の成就」が結びついている以上、問題を抱えていないのはヒロインとは言えない。
『青ブタ』の方へ話を戻そう。
『青春ブタ野郎』シリーズでは「思春期症候群」が登場する。この「思春期症候群」が『青春ブタ野郎』をラブコメとして見た時に無視できないものになっている。
もうお分かりであろうが、『青春ブタ野郎』においては「思春期症候群」こそが「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」であり、その解決に向かうことで「ヒロインとの関係の成就」へと至る(ライトノベルという媒体がエロゲと違い、複数エンディングを認めていないので必ずしも「ヒロインとの関係の成就」を達成するわけではないことは付け加えておく)。
このように「思春期症候群」がラブコメとしての『青春ブタ野郎シリーズ』を大きく広げているのだと思う。
物語の根底に「IF」が存在するSFと、物語の原動力に「IF」が多用されるラブコメとでは厳密には異なるのかもしれないが、正反対にあるように感じる、SFとラブコメにも親和性があるように思える。
V.ラブコメと思春期症候群
オタク文化的にラブコメと言えばアダルトPCゲーム(以下、エロゲ)の存在を否定できないと思う。『青春ブタ野郎』シリーズがその影響下にあるかどうかということは、ここでは議論しないが、話をしやすいのでエロゲについて説明する。
一般にエロゲはヒロインと仲良くなる物語でもなければ、ヒロインとえっちぃことをする物語でもなく、ヒロインを攻略する物語でもない。「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題を解決する物語」である。
「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」と「ヒロインとの関係の成就」が密接に隣り合っている構造だ。
よって、「エロゲをやっても彼女はできないwwww」のは当たり前である。現実では「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」が「ヒロインとの関係の成就」に繋がるとは限らないからだ。
また、「攻略できない女性キャラ」の存在について、彼女は「問題」を抱えていないのだろう。「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」と「ヒロインとの関係の成就」が結びついている以上、問題を抱えていないのはヒロインとは言えない。
『青ブタ』の方へ話を戻そう。
『青春ブタ野郎』シリーズでは「思春期症候群」が登場する。この「思春期症候群」が『青春ブタ野郎』をラブコメとして見た時に無視できないものになっている。
もうお分かりであろうが、『青春ブタ野郎』においては「思春期症候群」こそが「ヒロイン自身またはヒロインの周囲の問題の解決」であり、その解決に向かうことで「ヒロインとの関係の成就」へと至る(ライトノベルという媒体がエロゲと違い、複数エンディングを認めていないので必ずしも「ヒロインとの関係の成就」を達成するわけではないことは付け加えておく)。
このように「思春期症候群」がラブコメとしての『青春ブタ野郎シリーズ』を大きく広げているのだと思う。
VII.おわりに
前述の通り、初めての鴨志田一でしたが、楽しく読ませて頂きました。
続きが楽しみです。
何らかの形でブログの感想を残して頂けると嬉しいです。頑張って探しますので。
それでは。 (おわり)
2018.11.18:3年も前に書いた文章がこのままネットの海に漂っていることに耐えられず(しかもアニメ化に際してそれなりに読まれてもいるし)大幅に加筆・修正を行いました。
この部分も恥ずかしいので消したかったけど、伏字にしておくことにします。
VI.『青春ブタ野郎は○×△□の夢を見ない』
○×△□に入るのは各巻のヒロイン。
1巻はバニーガール先輩、つまりは桜島麻衣。
2巻はプチデビル後輩、つまりは古賀朋絵。
3巻はロジカルウィッチ、つまりは双葉理央。
3巻あとがきには『アイドル』という単語が有力で、麻衣がたくさん登場する予定らしいので、おそらくは麻衣。
巷では『青春ブタ野郎』シリーズ、もしくは『青ブタ』シリーズと呼ばれ、しばらくは陽の目を見ることのないであろう、『の夢を見ない』。
「じゃあ、誰の夢を見るんだよ!?」と考えると、咲太が夢を見た人物は(おそらく、多分、記憶違いでなければ)一人、牧之原翔子。そしてタイトル通りに桜島麻衣、古賀朋絵、双葉理央の夢を咲太は見ていない。
「青ブタはタイトルで損してる」という意見も散見されるが、(おそらく、多分、見当外れでなければ)タイトルこそ重要で、一番大切な伏線である(と信じてます)。
この『の夢を見ない』に牧之原翔子の「思春期症候群」が関係していて、そして都市伝説レベルでしかない「思春期症候群」に咲太がこんなに巻き込まれる理由になっているのではないか。
あくまで3巻までは、正ヒロインの麻衣さんがどっしりと構え、お尻のデカい後輩、朋絵がチョロチョロと顔を出す。お兄ちゃんラブなかえでは可愛い。サブカプになる双葉は淡い恋をして、こちらもいい感じだ。
が、どう読んでも麻衣さんからは「正ヒロイン(仮)」のようなそんな雰囲気を感じる。
主人公の最初の想い人である牧之原翔子も思春期症候群に関係しているようだし、病弱設定だし、こちらが「正ヒロイン」。
麻衣さんと翔子と(ついでに朋絵と)の間で揺れる咲太を是非見てみたい。麻衣さん一筋な咲太だからこそ見てみたい。
あまり決めつけかかって読んでもいいことがないのでほどほどに。予想が外れたらそれこそかっこ悪い。
by 95Kogikuna
| 2015-01-29 22:52
| 青春ブタ野郎シリーズ