2016年 01月 06日
「『ととの。』は人生」――『君と彼女と彼女の恋。』 |
I.はじめに
ネタバレに遭わないうちにプレイしてほしいので、未プレイの方は以下閲覧せずにプレイしてください。
ちなみに美雪を選びました。いいですね、この「経験者だけが分かる合言葉」みたいなものは。
再プレイはしていませんので、かなり記憶が怪しい部分もあると思います。間違いがありましたら、ご指摘ください。
以下、常体になります。
II.「メタもの」としての『君と彼女と彼女の恋。』
『君と彼女と彼女の恋。』については、メタフィクションとしての出来がとてつもなく良いと感じている。
1.恋愛シミュレーションゲーム(恋愛SLG)
恋愛SLGは主人公をプレイヤーの同期先として用意する。誕生日を入力できたり、ヒロインに名前を呼んでもらえるようにしたり。しかし、こうすることでいわゆる無個性主人公が生まれる。個性がありすぎるとプレイヤーとの齟齬が生まれるからだ。ゲーム内で起こるすべてのことを主人公のことではなく、プレイヤー本人のことである、と受け取ってほしいという意図がある。このあたりに恋愛SLGと恋愛ADVの線引きがあると思っている。
2.恋愛アドベンチャーゲーム
恋愛SLGの対比として恋愛ADVを挙げたが多くの物語がこのパターンに当てはまる。恋愛ADV、特にシナリオゲーと呼ばれるものは主人公=プレイヤーというのをあまり気にしない。主人公に個性がないと物語にならないし、そもそも完全な同期先がいないと感情移入できないほど未熟な人はそうそういない。しかしSLGに比べると没入感は減る。
3.『Ever17』
『Ever17』においては、プレイヤーに「第3視点」という座席を用意していた。十分な物語を作りつつも、プレイヤーにも物語世界にいて欲しいという欲張りを叶えようとした。僕らを一つ下の次元に落とそうとしていた。「感情移入」ではなく、「同期」である。未プレイの方は是非どうぞ。
4.『少年ハリウッドHORRY STAGE FOR 50』
アニメではあるが、『少年ハリウッド』においては視聴者は観客でしかない。一応〈アイドル未満〉の彼らの成長を追ってきてはいるものの、舞台劇や音楽番組、ライブではその特権的な地位は認められない。さらに最終話、プロジェクタに〈アイドル未満〉の彼らが映る。「〈アイドル未満〉の彼らを見てきた」という特権的な地位はここに来て、剥奪されたに等しい。「視聴者だけが知っていた〈アイドル未満〉の彼ら」が観客にも知れることになったのだ。これを以って観客の次元を上げて、視聴者と同期させようとしている、としたい。
5.『君と彼女と彼女の恋』
『君と彼女と彼女の恋。』においても、主人公は存在し、彼は「無個性」である。公式サイトの主人公の紹介においても「無個性。」と書いてある徹底ぶりだ。その意味で、『ととの。』は恋愛ADV、ましてシナリオゲームなどではなく、恋愛SLGであると言えよう。当然、プレイヤーは主人公に同期しようとする。
『君と彼女と彼女の恋。』はそれに留まらない。登場人物が次元を乗り越えて、「主人公」ではなく「プレイヤー」に話しかけてくる。加えて、プレイヤーにもパッケージに導入された番号を探させる等、〈3次元〉での行動を求め、「物語の当事者である」ということを意識づけさせたのだ。
「プレイヤー」自身が「主人公」ではなく「僕」として、『君と彼女と彼女の恋。』というゲーム、フィクションではなく〈現実〉に関わっていくという構図になったのだ。
まとめよう。
恋愛SLGは物語性を犠牲にして主人公とプレイヤーを同期させようとした。
恋愛ADVは没入感よりも物語性を選んだ。
『Ever17』は没入感と物語性の両方を取るために主人公ではなく「第3視点」という同期先を用意した。
一方、『少年ハリウッド』は視聴者の没入を拒否し、観客の次元を上げることで視聴者と観客を同期させた。
『君と彼女と彼女の恋。』は次元の境目を壊して、プレイヤーをプレイヤーのまま巻き込んだ。
III.『君と彼女と彼女の恋。』と『CROSS†CHANNEL』――恋愛ADVの否定
※1
軽く検索をかけても「偉大なADV」というくくりでしか名前並んでいるのを見ていないが、大きな関係があると感じている。両者について言及しているブログ等があれば教えて頂きたい。
※2
本項での「恋愛ADV」は前項における恋愛SLGとの対比を強調した「恋愛ADV」とは異なる。エロゲ、ギャルゲの総称としての「恋愛ADV」である。
『CROSS†CHANNEL』がかろうじてゲーム、恋愛ADVとしての形を保ったままやろうとしたことを『君と彼女と彼女の恋。』はゲーム、恋愛ADVであることを放棄してやった、というのが私の『君と彼女と彼女の恋。』観である。
『CROSS†CHANNEL』について、太一が太一を除いた6人をもとの世界に返そうと決意する、数回前のループ上で七香はこのようなことを言う。
「ねえ、別にハッピーエンドじゃなくてもいいじゃない?誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり、ずっといつまでも、ここで遊んでいいんだよ。やり直しのきくこの世界で太一はストレスなく生きていいと思うんだ」
この問いかけに対し、太一は「NO」と首を振り、やり直しのきかない世界、ストレスのある世界へと歩を進める(つまり他の6人をもとの世界に返そうとする)のである。
実際は、プレイヤーに「6人を救う」「この世界に生き続ける」という選択肢は出てこないが、1回性の失われた〈恋愛ADV世界〉から〈3次元〉、つまり〈現実〉へ帰する決意を〈恋愛ADV世界〉上でさせるのである。
この選択肢を実際に出して、プレイヤーに選ばせたのが『君と彼女と彼女の恋。』である。
美雪に軟禁され、ゲームを現実として錯覚させられる。そこで行われるのはまさしく恋愛ADV、〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉である。
そして、〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉から抜け出す選択肢をプレイヤーに選ばせる。
〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉を抜けだしたら最後、1回きりの選択である。やり直しは許されない、というよりできない。許す、許さないの問題ではないのだ。〈現実〉がそうであるように、『君と彼女と彼女の恋。』では「やり直し」ができない。
主人公がである心一が〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉から抜け出したように、プレイヤーである「僕」も現実へと帰すのである。
IV.『君と彼女と彼女の恋。』はもはやゲームではない、現実である。
『君と彼女と彼女の恋。』は再プレイができない(やる方法はあるようであるが、できないように作られいる)。
プレイヤーは2度はない決断をしたのだから、2度目は必要ない、というように。
それは「決断」だけにとどまらない。
『君と彼女と彼女の恋。』は「忘れられることを望んだゲーム」である。
再プレイもできないことは「2度目の決断」を否定するだけではない。
「2度目の決断」を否定するだけのものならば「自分の選択した通りにゲームが進むのを眺める」だけの「回想モード」があってもいいはずである。実際にそれを望むユーザーも存在する。
しかし、『君と彼女と彼女の恋』はそれさえも拒む。この意味を考えよう。
現実の出来事を私たちは“「回想モード」のように思い出す”ことはできない。
例えば、昨日という1日を正確に思い出すことはできない。よしんば「思い出す」ことはできても、「回想モード」とは違う。「回想モード」は「現在」を「再体験」するものだ。
「現在」を「再体験」することは現実においてはほぼ不可能なものである。私たちが「思い出す」ことができるのは「過去」のことを「過去」のように、だけである。
もう1つ。私たちは昨日の出来事をいつまで思い出すことができるだろうか。いくら拒んでも、徐々に徐々に忘れていく。これは日記を書こうが何をしようが、避けようがないことである。
『君と彼女と彼女の恋。』もそうである。再プレイも「回想シーン」も拒んでいるのだから、「思い出す」という形しか残されていない。『君と彼女と彼女の恋』の記憶の劣化は避けられない事態にある。
『君と彼女と彼女の恋。』は〈現実〉である。
セーブ&ロードで再試行できるものでもなければ、「現在」のように再体験できるものでもない。思い出すことができないが、それを拒むでもなく、むしろ許容している。
それでも、私たちは『君と彼女と彼女の恋。』を再試行したい、再体験したい、いつまでも綺麗な記憶のままにしておきたい、と思ってしまう。私たちができないと分かっていても「再試行したい、再体験したい、いつまでも綺麗な記憶のままにしておきたい」と願うのは〈現実〉についてもまったく同じなのだ。
V.おわりに
私もこうやって忘れながら書いてるので非常に書くのに苦労しました。もっと書きたいことがあった気がするのですが、まとまらなくて書ききれなくてこうなっております。
ご意見ご感想お待ちしております。 (おわり)
ネタバレに遭わないうちにプレイしてほしいので、未プレイの方は以下閲覧せずにプレイしてください。
再プレイはしていませんので、かなり記憶が怪しい部分もあると思います。間違いがありましたら、ご指摘ください。
以下、常体になります。
II.「メタもの」としての『君と彼女と彼女の恋。』
『君と彼女と彼女の恋。』については、メタフィクションとしての出来がとてつもなく良いと感じている。
1.恋愛シミュレーションゲーム(恋愛SLG)
2.恋愛アドベンチャーゲーム
3.『Ever17』
4.『少年ハリウッドHORRY STAGE FOR 50』
5.『君と彼女と彼女の恋』
『君と彼女と彼女の恋。』においても、主人公は存在し、彼は「無個性」である。公式サイトの主人公の紹介においても「無個性。」と書いてある徹底ぶりだ。その意味で、『ととの。』は恋愛ADV、ましてシナリオゲームなどではなく、恋愛SLGであると言えよう。当然、プレイヤーは主人公に同期しようとする。
『君と彼女と彼女の恋。』はそれに留まらない。登場人物が次元を乗り越えて、「主人公」ではなく「プレイヤー」に話しかけてくる。加えて、プレイヤーにもパッケージに導入された番号を探させる等、〈3次元〉での行動を求め、「物語の当事者である」ということを意識づけさせたのだ。
「プレイヤー」自身が「主人公」ではなく「僕」として、『君と彼女と彼女の恋。』というゲーム、フィクションではなく〈現実〉に関わっていくという構図になったのだ。
まとめよう。
恋愛SLGは物語性を犠牲にして主人公とプレイヤーを同期させようとした。
恋愛ADVは没入感よりも物語性を選んだ。
『Ever17』は没入感と物語性の両方を取るために主人公ではなく「第3視点」という同期先を用意した。
一方、『少年ハリウッド』は視聴者の没入を拒否し、観客の次元を上げることで視聴者と観客を同期させた。
『君と彼女と彼女の恋。』は次元の境目を壊して、プレイヤーをプレイヤーのまま巻き込んだ。
III.『君と彼女と彼女の恋。』と『CROSS†CHANNEL』――恋愛ADVの否定
※1
軽く検索をかけても「偉大なADV」というくくりでしか名前並んでいるのを見ていないが、大きな関係があると感じている。両者について言及しているブログ等があれば教えて頂きたい。
※2
本項での「恋愛ADV」は前項における恋愛SLGとの対比を強調した「恋愛ADV」とは異なる。エロゲ、ギャルゲの総称としての「恋愛ADV」である。
『CROSS†CHANNEL』がかろうじてゲーム、恋愛ADVとしての形を保ったままやろうとしたことを『君と彼女と彼女の恋。』はゲーム、恋愛ADVであることを放棄してやった、というのが私の『君と彼女と彼女の恋。』観である。
『CROSS†CHANNEL』について、太一が太一を除いた6人をもとの世界に返そうと決意する、数回前のループ上で七香はこのようなことを言う。
「ねえ、別にハッピーエンドじゃなくてもいいじゃない?誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり、ずっといつまでも、ここで遊んでいいんだよ。やり直しのきくこの世界で太一はストレスなく生きていいと思うんだ」
この問いかけに対し、太一は「NO」と首を振り、やり直しのきかない世界、ストレスのある世界へと歩を進める(つまり他の6人をもとの世界に返そうとする)のである。
実際は、プレイヤーに「6人を救う」「この世界に生き続ける」という選択肢は出てこないが、1回性の失われた〈恋愛ADV世界〉から〈3次元〉、つまり〈現実〉へ帰する決意を〈恋愛ADV世界〉上でさせるのである。
この選択肢を実際に出して、プレイヤーに選ばせたのが『君と彼女と彼女の恋。』である。
美雪に軟禁され、ゲームを現実として錯覚させられる。そこで行われるのはまさしく恋愛ADV、〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉である。
そして、〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉から抜け出す選択肢をプレイヤーに選ばせる。
〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉を抜けだしたら最後、1回きりの選択である。やり直しは許されない、というよりできない。許す、許さないの問題ではないのだ。〈現実〉がそうであるように、『君と彼女と彼女の恋。』では「やり直し」ができない。
主人公がである心一が〈誰かと個別に付き合って幸せになったり、友達と遊んだり。やり直しのきく、ストレスのない世界〉から抜け出したように、プレイヤーである「僕」も現実へと帰すのである。
IV.『君と彼女と彼女の恋。』はもはやゲームではない、現実である。
『君と彼女と彼女の恋。』は再プレイができない(やる方法はあるようであるが、できないように作られいる)。
プレイヤーは2度はない決断をしたのだから、2度目は必要ない、というように。
それは「決断」だけにとどまらない。
『君と彼女と彼女の恋。』は「忘れられることを望んだゲーム」である。
再プレイもできないことは「2度目の決断」を否定するだけではない。
「2度目の決断」を否定するだけのものならば「自分の選択した通りにゲームが進むのを眺める」だけの「回想モード」があってもいいはずである。実際にそれを望むユーザーも存在する。
しかし、『君と彼女と彼女の恋』はそれさえも拒む。この意味を考えよう。
現実の出来事を私たちは“「回想モード」のように思い出す”ことはできない。
例えば、昨日という1日を正確に思い出すことはできない。よしんば「思い出す」ことはできても、「回想モード」とは違う。「回想モード」は「現在」を「再体験」するものだ。
「現在」を「再体験」することは現実においてはほぼ不可能なものである。私たちが「思い出す」ことができるのは「過去」のことを「過去」のように、だけである。
もう1つ。私たちは昨日の出来事をいつまで思い出すことができるだろうか。いくら拒んでも、徐々に徐々に忘れていく。これは日記を書こうが何をしようが、避けようがないことである。
『君と彼女と彼女の恋。』もそうである。再プレイも「回想シーン」も拒んでいるのだから、「思い出す」という形しか残されていない。『君と彼女と彼女の恋』の記憶の劣化は避けられない事態にある。
『君と彼女と彼女の恋。』は〈現実〉である。
セーブ&ロードで再試行できるものでもなければ、「現在」のように再体験できるものでもない。思い出すことができないが、それを拒むでもなく、むしろ許容している。
それでも、私たちは『君と彼女と彼女の恋。』を再試行したい、再体験したい、いつまでも綺麗な記憶のままにしておきたい、と思ってしまう。私たちができないと分かっていても「再試行したい、再体験したい、いつまでも綺麗な記憶のままにしておきたい」と願うのは〈現実〉についてもまったく同じなのだ。
V.おわりに
私もこうやって忘れながら書いてるので非常に書くのに苦労しました。もっと書きたいことがあった気がするのですが、まとまらなくて書ききれなくてこうなっております。
ご意見ご感想お待ちしております。 (おわり)
by 95Kogikuna
| 2016-01-06 23:27
| 君と彼女と彼女の恋。